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寺屋敷跡・五輪塔群(丸田郷中の原215番)

[ 寺屋敷跡・五輪塔群 ]
 昭和46年1月17日に、長崎県の指定史跡となったものです。
 そもそも五輪塔というのは、墓石、又は墓標的なもの、供養塔として最も顕著な石造物です。平安時代から発達し、鎌倉・室町時代を経て江戸時代におよび、現在でも一種の墓石として用いられており、その存続期間のきわめて長いことも特色です。
 下から、地輪(方形)・水輪(円形)・火輪(三角)・風輪(半円)・空輪(宝珠形)の五輪で構成。この五輪の発達についてはいろいろな説があるということですが、密教儀軌における五輪塔形が発達したものだそうです。
 ここの五輪塔は、文字は風化して判読が難しいが、「郷村記」に照らし合わせてみると、古い順に「明徳・永亨・寛正・明応・天文」などが読み取られ、南北朝時代から室町時代をへて戦国時代までに建立されたものとみなされます。このように古い各時代の五輪塔が一箇所にまとまってあるのは、長崎県内でも珍しい例で、大村湾沿岸における文化的資料の体系付けと、中世における石造工芸品の貴重な参考資料となる史跡とみなされています。
 また、これらの墓石は、かつての領主長与一族に関係のあるものではないかとみられています。
南北朝時代: 1336年後醍醐天皇の吉野遷幸、足利尊氏の光明天皇擁立から、1392年南北朝の合体まで、南朝4代、北朝5代の天皇が並立した57年間
戦国時代: 応仁の乱後、約1世紀間、全国に大名が割拠して激しく争った時代。守護大名に代わって戦国大名が台頭、いわゆる「下克上」の風潮が一斉を風靡した時代で、信長・秀吉によって統一された。

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