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寺屋敷跡五輪塔群

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五輪塔とは、供養塔や墓塔として用いられる仏塔の一種で、方形の地輪、円形の水輪、三角形の火輪、半月形の風輪、宝珠形の空輪で構成されます。

この史跡は、丸田郷の住宅地の中にあり、昭和46(1971)年に長崎県指定文化財(史跡)になっています。大小6基の五輪塔(五輪がそろっていないものもある)が並べられており、周囲に散乱している地輪から30基を超える五輪塔があったと推測されています。また『大村郷村記』には、「嬉里郷にあり、元禄旧記に、広サ五畝四歩程(約500平方メートル)とあり、今は蔵入畠なり」との記述があるため、昔はもっと広い別の場所にあったのかもしれません。

五輪塔の碑銘は風化していて判読が難しいのですが、『大村郷村記』に照らし合わせてみると、次のようになっています。

・暮齢六十八逝 禅智禅定尼 明徳二年辛未二月二十二日

・永享十二庚申年 天開珍公居士 正月二十三日逝

・逆修 現前智栄禅尼 于時寛正壬午二月吉日

・逆修 現前妙瑞禅尼 于時明応三年甲寅二月吉日

・謹奉造立石塔一基 祖円順公庵主 天文十年辛丑四月九日

※ 于時(ときに)とは、今現在という意味。

また、近年新たに「允永禅尼 宝徳」など他にも文字が刻まれた地輪が見つかりました。

このうち「明徳」と刻まれている碑銘は、長与に残る最古の金石文(金属や石に刻まれている文字のこと)とみられています。

碑銘の中には「禅尼」「禅定尼」とあり、男性優位の中世武家社会においても女性がきちんと遇されていたことが分かります。

碑銘の年号を古い順に並べると、明徳2(1391)年・永亨12(1440)年・宝徳(1449年~1452年)・寛正3(1462)年・明応3(1494)年・天文10(1541)年となり、室町時代(南北朝時代から戦国時代までの間)に建立されたことが分かります。これだけ多くの五輪塔が少なくとも150年間にわたって造られていたことから、かつての領主である長与氏に関係のあるものではないかとみられています。

このように古い時代の五輪塔がまとまってあるのは、長崎県内でも珍しい例で、大村湾沿岸における文化的資料の体系付けと、中世における石造物の貴重な参考資料となる史跡とみられています。


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