平和への祈念と被爆体験の継承を目的として、高田郷の九州電力長与変電所近くに、長与国民学校高田分校に関する看板を、平成30年10月10日に設置しました。 当時、看板設置個所付近に長与国民学校高田分校があり、昭和20年(1945年)8月9日の原爆投下直後には、多くの負傷者が収容されました。 長与国民学校高田分校では、8月14日に針尾海兵団から派遣された救護隊が到着するまでの6日間、地元の婦人会が中心となって負傷者の救護が行われました。その後、8月19日に閉鎖され、残った患者は長崎の新興善救護病院に移されました。 このモニュメントは、長与国民学校高田分校が果たした役割を後世に伝えるとともに、原子爆弾で亡くなられた方々を追悼し、二度と核兵器による惨禍が繰り返されないことを願って、設置しました。
長与国民学校高田分校説明板 |