平和への祈念と被爆体験の継承を目的として、原爆投下直後に救護所となった長与国民学校に関する説明板を、平成27年8月3日に設置しました。 長与町武道館を含む敷地には、原子爆弾が投下された当時、長与国民学校(現在の長与小学校)が建っており、爆風で窓枠やガラスの破片が散乱するなどの被害を受けました。 教室や講堂では、長崎市内から多くの負傷者が運び込まれ、村内の人々により応急手当や看護・炊き出しなどが行われました。 犠牲者は主に学校裏手の皆前墓地に埋葬されたといわれています。
長与国民学校(救護所)跡説明板 |