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雄城家の墓(高田郷西高田)

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[ 雄城家の墓 ]
 西高田の山中に、数基の墓があります。これらの墓は、雄城家という有力者の墓でした。
 雄城家は、大村藩の重職として、西高田村の実質上の支配者でした。
 雄城氏とは、豊後(大分県)の出身で、豪族大神氏の一族とのことです。
 室町・戦国期には、大友氏の家臣でしたが、大友宗林がキリシタン大名となる時、その事を「国家の無益」と進言したことで、宗林の怒りを買い、堺に移ります。この時期、大村藩の第二代藩主・大村純頼との出会いがあります。大村の地に迎えられ、高田村に100石の地を与えられてその家臣となり、以後同家は歴代大村氏に仕えることになりました。以後、臣として歴代重要な藩政に参与していきます。
 12代・雄城直記の代には、大村藩では藩体制の変革期にあたり、幕末の勤王改革派と佐幕派との対立抗争がありました。そのような中で、慶応3(1867)年、勤王派の指導者であった松林飯山が暗殺され、同じく勤王派の要人であった針尾九左衛門が深手を負ったという事件が起こりました(俗に言う「大村騒動」)。これに対し、藩主・純熙(すみひろ)の命で、犯人捜索がなされ佐幕派26人が逮捕されました。この中で、雄城直記が直接殺害した下手人とされ、処刑されました。
 佐幕(さばく):幕末の頃、徳川幕府の政策に賛成して、これを助けたこと。
 勤王(きんのう):皇室のために尽くすこと。

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