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波多家の墓

最終更新日:

中世の自然石を使った墓石が数十基残っている「波多家の墓」はとても珍しく、近世初期の長与を知る上で重要な史跡といえます。

波多家は、嵯峨天皇の第十二皇子「融(とおる)」を遠い祖先とし、川原院一位左大臣・源氏長者贈一位の末裔といわれています。学者の家系で史料によれば、波多三河守親(ちかし)は慶長の役に秀吉の命を受けて出兵、帰国後、秀吉の勘気に触れて追放されています。

大村家史料によると、一族18名が諫早の近く長与村洗切に家宅を造り、畠を拓いて生涯に従事するとあり、また程なく一族の中から肥後国に移住し、慶福寺を創建して潜むとあります。

現在、洗切に残る自然石(墓石)はその新旧は不明ですが、18家の内の集族と推定できます。

大村藩との関係では、波多家の中興の祖は「恵(めぐむ」)」(長兵衛)とあり、その子・「長圓(ちょうえん)」(親吉)は、寛政10年(1798)に家督を継ぎ、大村藩九代藩主・大村純鎮、十代藩主大村純昌に坊主として仕え、享和3年(1803)には、坊主組頭次席を勤めています。親温(ちかよし)は文化9年(1812)に家督を継ぎ、洗切継場役兼山留役を勤め、その子「親」(藤太郎)は父の後をつぎ、安政6年(1859)洗切継場役・かつ村稽古頭取の役となっています。

場所

地図のポイント辺りがこの遺跡がある場所 

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