時津町との町境、斉藤郷の長昌山法妙寺裏手の標高116m程の山頂にあり、東西70m、南北250m程で、石垣や空堀などが残っています。
中尾城と同じく長与権之助が築いたとされ、浜の城と呼ばれていました。
天正14(1586)年、地頭の長与純一が大村純忠に叛旗をひるがえし、この城に立てこもりました。これを知った純忠は、大村左近太夫純常を将とした50余騎の兵を派遣し攻め寄せましたが、城兵の鉄砲・石弓により防がれ苦戦します。急坂のため攻めにくく、喉がカラカラに乾いて攻めあぐねていたとき「梅干し! 梅干し!」と叫ぶ声がして、この声を聞いた兵は、梅を想像して出てきた唾を飲み込んだため、喉の渇きが止まり士気が上がってついに城を落としたという逸話があり、この戦い以降、この城は“唾飲(つのみ)城”とも呼ばれるようになったと言われています。

浜の城(唾飲城)跡 遠景
場所