位置・地勢
長与町は、長崎市の中心部から約10kmの位置にあり、北東は琴ノ尾岳(451.4m) を含む、300~400mの山岳地を境に諫早市、西は崎野ノ鼻から南に延びる50~150mの小丘陵で時津町と接し、さらに南は150~400mの山々で長崎市と接しています。
また、長与町のシンボルとも言える長与川(延長約8km)が、その源を琴ノ尾岳中腹に発し、町の中心部を南から北へ流れ、波静かな大村湾に注いでいます。
町のあゆみ
明治22年4月に町村制が施行され、9郷からなる長与村が誕生しました。当時約5,000人であった人口は、昭和44年1月の町制施行の時点で、人口13,504人の町となりました。
本町は純農村地帯として、柑橘栽培を主体として発展を続けてきましたが、昭和40年頃から長崎市街地が北部へ伸びるに伴い、住宅都市としての要素が高まり、宅地化が進みはじめました。
昭和46年3月に新都市計画法による市街化区域等が決定され、これを機会に本町では、農業と自然と住宅地が調和した人間性あるまちづくり、「農・緑・住」を柱として各種の事業に取り組んできました。その中でも、有効な土地利用と生活環境整備を図るため、昭和47年から土地区画整理事業、昭和48年度から公共下水道事業に着手、その後の爆発的な人口増加と飛躍的な発展をもたらす新たなまちづくりがスタートしました。
都市化とともに、町の人口が急増し、昭和45年当時と比較すると、昭和55年で2.1倍、平成2年で2.4倍、平成12年で2.9倍、平成22年で3倍を示しましたが、近年では少子高齢化の進行に伴い、長く続いた人口の増加も減少に転じています。
一方、現在の本町は、「都市機能の利便性」と「身近で豊かな自然環境」を併せ持ち、「子育てと教育のまち」、「機能的で暮らしやすいまち」として、内外で高い評価を得ています。
令和3年度からは、第10次総合計画がスタートし、「住みたい・住み続けたい・住んでよかったと思われる」「幸福度日本一のまち」をテーマとしたまちづくりを進めています。
町民の誓い
わたしたちは、住みよい町づくりのため、次のことを誓います。
- 緑と花にかこまれた、美しい町をつくります。
- 公害や交通事故のない、住みよい町をつくります。
- 老人や子どもを大切に、明るい町をつくります。
- たがいに助けあい、豊かな町をつくります。
- 体育・文化を育て、健康な町をつくります。
※1973年(昭和48年)11月23日 制定
町章・町花・木
ナガヨの「ナ」を鳥が飛ぶ様に見立てたもので、円の部分で円満性を、両翼と三角形の頭部で飛躍と発展性を表現しています。昭和42年公募により制定しました。
毎春、梅は他の草木に先がけて花をつけるとともに、純潔・謙虚・忍耐を表す花とも言われ、本町が他に先がけて物事に取り組み、実現してほしいとの町民の期待が込められています。
イメージキャラクター「ミックン」
町制施行30周年記念として、平成11年に、長与町をよりよくPRするためにイメージキャラクターを一般公募。長与町の特産品であるミカンをモチーフに、ミカンの葉に乗って大空へ飛び立つ元気な子どもの様子をイメージした「ミックン」が誕生しました。
イメージキャラクター「ミックンの部屋」