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ながよふるさと「かるた」 (全体)

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※上記の各行をクリックすると、詳しい「かるた」の紹介が表示されます。

あだうち果たす 嬉里谷の 鎖鎌踊

 正式名称を 「志賀団七本調子道行」といい、古くから大村藩に伝わっているともいわれ、また佐賀から伝えられたともいわれています。
 父子三人で田の草取り中、道に投げあげた草の泥が通りかかった志賀団七の袴にかかり、怒った団七は父親を無礼討ちにしてしまいます。
 残された二人の姉妹か多くの試練を乗り越えて、見事志賀団七を討ちとるという構成をもった踊りです.。

いちじくジャム おいしい長与の 特産品

 長与のおもな産業は農業で、二〇〇年あまりの歴史を誇るみかんの産地として有名です。
 最近は、みかんに加えビワ・イチジクなどの複合経営が見られます。
 また、町生活改善グループでは、町内産の暴作物加工の研究に取り組み、イチジク・キウイジャム、手作りみそなどの特産品が消費者から人気があります。

うめぽしの 声で落とした 唾飲城

 斉藤郷法妙寺の裏山にあったとされる唾飲城の名前の由来は、今から約四百年ぐらい前(一五八六)、長与村の地頭長与太郎右衛門純?が、大村純忠と戦ったときのこと。
 浜城に立てこもった純一を攻める大村勢は、大変な喉の乾きに見舞われていました。
 そのとき、攻め手の中に「梅干し、梅干し」と叫ぶ者がいて、みんな生唾を飲み込みながら浜城を攻め落としたことに由来します。

えんとつが 大きい酒屋 鶴の港

 広瀬酒店は、江戸時代から続いた造り酒屋です。広瀬酒店の酒は、長与の山の方から水を引いて裏の大きなたるの中にためておき、それを使ってつくっていました。
 戦後、広瀬酒店で酒をつくることはなくなりましたが、今も長与川の川ばた(斉藤郷)に、大さな赤いレンガの煙突が見えます。

扇塚 この山登ると 「おー、きつか。」

 あるとき、扇塚から伊木力よりの道を通りかけた二人の武士が、ふとしたことから口論を始め、とうとう刀を抜いての果たし合いになりました。
 一人は深い傷を負い扇塚から佐敷川内の方へ逃れましたが、途中ばったり倒れ、そのまま息絶えてしまいました。
 その武士か逃げる途中、腰に差していた鉄扇を落としたところに塚を建てて供養したので「扇塚」という地名になったそうです。

輝く未来へ羽ばたこう 蝶の形の 長与駅

 長与駅は、明治三十年七月開業しました。
 以来、長与の玄関ロとして町の移り変わりを見守って、百年以上の年月か流れました。
 現在の新しい駅舎は、平成九年十一月一日に完成しました。外観は、曲線を生かし、蝶か羽根を広げ、飛び立つ様子をイメージし、
 町の限りない発展を願っています。壁面には、獅子舞や町花・木の梅をデザインしたステンドグラスがはめ込まれています。

気合い入れ 子どもたち舞う なぎなた踊

 なぎなた踊は、明治時代前期、長与村に生まれました。
 明治十八年には、和田茂太郎氏か祇園祭の先ぶれとして、なぎなたを持ち行列に参加しています。
 この踊りは、なぎなたに棒術を取り入れたもので、一番基本、二番かただすき、三番すけじり、四番花車となっています。
 戦後は少年が主体となり、一番から四番までの型を守っています。

苦労と 涙で作った 本川内駅

 明浩三十年、浦上、道ノ尾、長与の三つの駅を汽車が往復するようになりました。
 その後、昭和二十七年、本川内駅を作るにあたり「明日までに材料を集めることができたら・・・。」という厳しい条件か出されました。
 しかし、本川内の人々はくじけることなく、みんなで協力して翌朝までに見事に材料を集め、地元の人たちの念願の本川内駅が作られました。

健康づくりに ぜひおすすめ 長与ヘルシーウォーク

 長与ヘルシーウォークのリバーサイドコース(七・一五キロ)
 平成二年九月八日実測平均値
 男 九六六二歩 三00キロカロリー(八一分)
 女 九七九五歩 三二五キロカロリー(八三分)
 1.心肺機能を高め、脂肪を減らす
 2.ストレス解消
 3.便秘の解消
 4.シェープアップ などに最適です。

高田駅 南陽の丘のふもとに 人つどう

 長与は、長崎に通う人たちのベッドタウンとして人ロがふえ、それにつれて鉄道を使う人たちもふえました。
 そのため南陽台団地の下に、平成六年(一九九四)三月一日に長与駅と道ノ尾駅間に新しく高田駅かたんじょうしました。
 長崎までの所要時間は約十六分で、この駅のおかげで、多くの通学者や通勤者の交通がべんりになりました。
 一日にやく八百人の人たちがりようしています。

皿山に残る まぽろしの 三彩焼

 長与やきは、今からおよそ三百四十年前(一六六七年)に、嬉里郷の皿山でやかれたのがはじまりで、百九十二年間続きました。
 皿山のかまでは、みんながふだん使う安いお皿や茶わんの長与やきと、おとの様にさし上げるほど高級な三さいやきの二種類のやき物がやかれたと言われています。
 皿山のかまあとには、今でも使われていたれんがが石がきにのこっています。

塩浜の 海水干して 塩づくり

 今は、長与で塩作りは行われていませんが、四百年くらい前(一五九六年)のころは、長与の代表的な仕事でした。
 大村はんの中では、さいしょに塩作りをとりくんだ場所です。
 海の水をひきこみ、石がまでにつめていたそうですか、にるときは、崎戸から船で運んだ石炭を使っていたということです。
 明台三十八年、塩作りは政府のしごとになり、長与の塩作りは、とりやめになりました。

すごいぞ かっこいい 斉藤のじゃおどり

 明治時代、岩淵神社の龍神様をまつるために「長崎くんち」の奉納踊りである竜踊(じゃおどり)を取り入れたものです。
 竜の頭は長崎市籠町からゆずり受け手、どう体や使い手の衣装は籠町や滑石のものを参考にして長与で作ったものです。
 演技の内容は、片手使い・双手使い・玉かくし・どうぬけの四通りの芸を連続して演じています。
 そのすばやい動作と竜の大きな口から火をふき、けむりをはく様子は、とても見事な演技です。

船頭さんの 大漁祝った 船津の川船

 起こりは、船津の網元・吉岡政太郎が明治二十年に新居落成の時に、大太鼓をこう入して「川船ばやし」をみんなの前で行ったことが始まりと伝えられています。
 また、詞や節は、紀伊国屋文左衛門にあやかったものといわれています。
 現狂うたわれている「大漁ばやし」は、昭和三十三年の松野伝氏が役場の落成記念に作詞したものです。
 現在使われている川船は、昭和六十三年、現在の役場庁舎落成記念にあわせて新船を建造したものです。

壮大に ひぴきわたる 琴の尾太鼓

 本川内で受けつがれていた太鼓を、昭和六二年に新たに「琴の尾太鼓」とした。
 この古太鼓は皮をはりかえる時、元禄一〇年(一六九七)三〇〇年前に作られたものとわかった。
 今のこっている太鼓の中では一番古い文化財になるのではといわれている。
 長与川のみなもとの琴の尾岳のふもとにあたることから「長与源流太鼓」、「のろし太」、「祝い太鼓」「琴の尾太鼓」の四曲があり、主に横打ちをする。

太鼓と かねの音 吉無田獅子舞い

 口伝えによると、今から二百年ほど前、長崎の深堀に住む阿茶さんという唐人(現在の中国の人)から教えられたという話と、同じく長崎の矢上中尾村の人に習ったという話があります。
 獅子は、悪魔をはらい、五穀豊穣・家内安全・お家繁昌を守ると言われ、麻利支天王神社の祭礼に奉納されていたそうです。
 獅子は、一人か頭と前あし、もう?人が胴と後ろあしを受け持って、はやしに合わせておどります。

地域の オアシス 中尾城公園

 昔の山城のあとに作られた、地域のみんなが楽しめる公園です。
 公園のシンボルでもある赤いエアロフリッジからすべりおりる高さ二十六mのスパイラルスライダーや長さ五十二mの草スキー場などで遊ぶことができます。
 春には桜がきれいに咲き、花見にはぴったりの場所です。
 公園の中には町民文化ホールや陶芸の館、展望台などもあります。

つつみができた 豊作いのる 七葉迫

 今から百四十年前(一八六三年)、本川内に住む人たらは、水不足でこまっていました。
 そこで、人々は二年八ケ月もかけて「七葉迫」というつつみを作りました。
 つつみの完成により水不足もなくなり、水田の実りもよくなったということです。
 また、昭和になるとつつみの水を他の地区に通すためのトンネル(ずいとう)も作られました。

天満宮公園 春にはきれいな 桜咲く

 天満宮公園は高田郷東高田に、江戸時代(元禄元年)に建てられました。
 家内安全、無病息災、豊作を祈る行事が一年中行われています。
 春には道沿いにたくさんの桜か咲きほこり、多<の花見客でにぎわっています。

年こしの かねの音ひぴく 法妙寺

 法妙寺は、一六二七年に大村純信により建てられました。
 法妙寺が建てられるおよそ六十年前は、大村純忠によりキリスト教が広まっていましたが、その後禁止されるようになり、
 キリスト教徒ではない証明と、人々に仏教を広めるために法妙寺は、建てられました。
 法妙寺本堂に祭られているのは加藤清正像で、大村純忠の子、喜前(よしあき)と互いに助け合った縁があるそうです。

長与川 きれいな流れ いつまでも

 長与川は町内でl番大きな川です。平らで広大な流域には、水田やみかんを主とする農地が開けています。
 昔はたくさんいたサワガ二やメダカも、最近はほとんと姿を見なくなりましたが、源流の方にはカウニナなどが見られます。
 美しい長与川を守り続けるために、町内あげての活動が展開されています。

にわかで にぎわう 西高田

 西高田のにわか(人形からい)は、わら人形に着物を着せて胸と背中にくくり、おんぶされているように見せるのがこつです。
 こっけいな演技が見どころです。

ぬったなら できもの治す 鍋石の水

 鍋石さまとは、岡郷側から扇塚公園へ行くと中の鍋石公園にある、鍋のような形の大石のことです。
 いつも水がたまっています。
 昔、佐敷川内のサヨという女の子の体中に赤いぶつぶつができてしまったそうです。
 近所のおばあさんにすすめられて、鍋石さまにいつもたまっていた水を体中にぬりました。
 すると、二週間ほどできれいに治ったそうです。
 それから、鍋石さまの水は皮ふ病にきくと言われるようになりました。
 できものが治ったらおとうふ十二丁をお供えするという言い伝えがあります。

年に一度 花火でぎわう 川まつり

 決まった日取りはなく、梅雨の間に行っていました。
 川の側に笹竹を立て、それに御神酒(おみき)を入れた竹づつをかけて祭っていたそうです。
 今では、長与の母なる川として、感謝の気持ちをこめて、三日間、盆踊りや打ら上け花火などでにぎわっています。

のちの世に のこしておこう 原爆いれい碑

 長与小学校のうらの丘の上にあります。
 昭和二十年八月九日、長崎市に原子爆弾が落とされました。
 長与には、九百ぐらいの人が逃げてきたそうです。
 そのときに亡くなった人びとがまつられています。

はりきって みんなでおどろう みかん音頭

 みかん音頭は、長与町がまだ長与村だったころの昭和三四年(一九五九年)、新農山漁村建設事業の一つとして作られました。
 今日は、広く町民に親しまれ、学校の運動会などでも楽しく踊られています。

人のため この世を去った 森 源次

 定林から寺の下にかけて長与川が大きく曲がっています。
 昔は毎年梅雨時なると、この曲がった所の土手が切れて、せっかく植えた稲がだいなしになってしまいました。
 普請(ふしん)奉行として長与に来た森源次は、大がかりな治水工事にとりかかりましたが、川のはんらんはおさまりませんでした。
 「人柱(生きている人間をうめること)を立てんばおさまらん。」といううわさ話を耳にした森源次は、自ら人柱に立ちました。
 それからというもの、川のはんらんはおこりませんでした。  村人たらは、感謝の印に水神様としてほこらを建て、今もまつっています。
 そのほこらは、嬉里郷の親和銀行のそばにあります。

ふりゆうは 岡と平木場の 伝統芸

 浮立の由来については、その目的のほとんとが、「雨乞い」のためだったと言われています。
 長与村だった時代には、七つの地区で行われていた浮立ですが、現在では、岡郷と平木場郷のみで伝えられています。
 岡郷では、大勢の人が参加するため、「千人浮立」とも呼ばれ、大変ににぎやかなものとなっています。

ペーロンの ドラに合わせて かいをこぎ

 百年以上の歴史をもつ、夏の風物詩ペーロン。
 ドラや太鼓の音に合わせて櫂をかく姿は、まさに海の男のロマンを感じさせます。
 ペーロンの始まった当時は広瀬酒店前で乗り降りをしていましたが、現在は船津橋付近でしています。

本川内 二つの月は むじな月

 みなさんは、月が二つ出ているところを見たことがありますか。
 本川内の松の首峠を見てください。本物の月のとなりで輝いているのは、むじな月なのです。
 この月は、むじなたちが長与の夜をもっと明るくしたくて、よっさよっさと持ち上げているものなのです。
 むじなは、おばけの仲間ですが、とてもかわいらしいですね。

マルチシートで 甘みを増すよ 長与みかん

 西彼長与町から同多良見町につなかる松ノ頭.松ノ頭谷(伊木力)にみかんの古木か存在するため、
 長与町のみかんの歴史も約二百年の伝統をもつと言われます。長与町の農業の中心は、みかんです。
 現在では、農業技術が進歩し、透湿性シート(タイベック紙)で土壌を覆う方法がとられています。
 地中の水分を外に逃がして、雨を遮断する機能を持ちます。
 また、太陽光を効率よく反射できる白い色をしています。
 この方法で、より甘いみかんになります。

道ノ尾の 温泉王は 吉兵衛さん

 今から百年以上も昔の明治二年、道ノ尾に古田吉平という人がいて、この人が温泉を掘り当てました。
 何年かすると、鉄道が通るようになり、道ノ尾にも駅が出来ました。
 でも、まだ思うようにお客さんが集まりません。
 なぜなら、駅から温泉まで八百メートルもあり、馬車などが通るような道が出来ていなかったからです。
 そこで、吉平さんは、お金を出して道路を造りました。
 そして、道の王様と呼ばれるようになりました。

※長与町郷土誌によると、正しくは吉田吉平さんと明記してあります。

昔を伝える 丸田の 五輪の塔

 丸田郷の寺屋敷と呼ばれている畑の中に、ふるい五輪の塔があります。
 これは、今からおよそ五百から六百年前の「武士の世の中」に、長与をおさめていた人々のお墓だと考えられています。

目の前で 「オーラオーラ」と 穴岩の声

 長与町岡郷の中通りを過ぎていくと、右側の山の中ぐらいの所に、まんまるい穴が見えてきます。
 夜、その穴の下で、「オーラオーラ」と叫んで、かしわ手を「パン、パン」と打つと何か恐ろしいものがその穴を出たり、  入ったりするのが見えるそうです。

もう一度 入ってみたい 平木場の湯

 むかしから、平木場には、どい水道温泉という冷泉が沸いています。
 その冷泉は、かさやできもの、それにきりきずといったけがや病気に効能があると言われていました。
 それで、今でもその水を沸かして、風呂の湯にしています。
 たとえば、上長与公民館では、浴場を設けており、その湯を使用しています。

野菜や魚は すわだ・じげもん・まん天で

 長与でとれた安全で新鮮な物を安く、直接購入することができます。
 名産のみかんをはじめ、いろんな種類の果物や野菜が季節を通して販売され、午前中で品物がなくなるほどの人気です。

百合野で 生まれた 辻田白菜

 辻田白菜は、明治時代に、百合野に住む辻田長治郎さんが、品種改良したものです。
 長治郎さんは、交通の不便だった百合野地区に道路を造りたいと思い、白菜を品種改良したのです。
 辻田白菜は、漬け物にするととてもおいしく、その評判は、九州地区から全国に広まりました。
 それで得た資金をもとに、道路が造られ百合野地区の人々は、とても助かったそうです。

よいながめ 弁当持って 琴の尾岳

 琴の尾岳は、四百五十一メートルの高さの山です。
 山頂からは、大村湾が見下ろせ、雲仙、多良岳、西彼半島、長崎市街と雄大な景色が広がります。
 山頂には、展望台や広場が整備され、車で行けるところもあって、休日には家族連れでにぎわいます。
 頂上から少し下ったところには、江戸時代に長崎の異変を大村藩へ知らせたのろし台の跡があります。
 近くには、NTTのパラボラアンテナがあり、現在でも重要な情報の中継基地になっています。

らくですね みんなが休んだ 平木場の継場

 平木場郷洗切のパス停近くには、洗切陣屋跡の石がきが今ものこっています。
 ここは、今からおよそ五百年から六百年前の「武士の世の中」の時代に、役人や大名などが、
 旅のとちゅうにひと休みして、馬やわらじをかえたり、水を飲んだりしていたところです。

リンさんは 純直思い 人柱

 むかし、大村純直という殿様がいました。
 純直はリンという女の人と結婚を約束していましたが、朝鮮まで戦いに行くことになりました。
 悲しいことに残されたリンさんは、新しく作る橋の人柱(川がはんらんしないように願うために行われた)に選ばれてしまいました。
 リンさんは、遠い朝鮮にいる純直のことを思いながら泣く泣く人柱になったそうです。
 その橋が嬉里郷にある定林橋です。

ルールを守って 楽しくすべろう スパイラルスライダー

 めずらしい、らせん状のすべり台です。
 高低差が26メートル(7階建てのビルくらい)で、全長は、63メートルになります。
 タワーの高さは、36メートルです。
 つり橋の長さは、なんと103メートルもあります。

歴史を 教える 堂崎遺跡

 岡郷の堂崎遺跡からは、石で作った道具がたくさんほりだされました。
 このことから、ここでは大むかし?万年ぐらい前(じょうもん時代ごろ)の人々が、魚をとったり、
 かりをしたりしてくらしていたことかわかります。

濾過をして きれいな水の 上水道

 じょう水場では長与川の水を取り入れ、ゴミを取りのぞいたり、消毒をしたり、においをとったりしてきれいにします。
 きれいになった水は、ポンプで配水池に送られます。
 そして、配水池から水道管を通って各家庭や学校に送られていきます。
 配水池の水がなくなっていないか、水道管から水がもれていないか、
 じよう水場のコンピューターでいつもかんししています。

我が誇り 美しい町 長与町

 長与町は、まわりを緑豊かな山々にかこまれています。
 特に、東がわには、琴ノ尾岳をはじめとする高い山々がつらなっています。
 また、長与町のシンボルとも言える長与川(長さ8キロメートル)が、
 琴ノ尾岳の中腹から、町の中心を南から北へ流れ、波しずかな大村わんにそそいでいます。


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