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ながよふるさと「かるた」(さ行)

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※上記の各行をクリックすると、詳しい「かるた」の紹介が表示されます。

皿山に残る まぽろしの 三彩焼

 長与やきは、今からおよそ三百四十年前(一六六七年)に、嬉里郷の皿山でやかれたのがはじまりで、百九十二年間続きました。
 皿山のかまでは、みんながふだん使う安いお皿や茶わんの長与やきと、おとの様にさし上げるほど高級な三さいやきの二種類のやき物がやかれたと言われています。
 皿山のかまあとには、今でも使われていたれんがが石がきにのこっています。

塩浜の 海水干して 塩づくり

 今は、長与で塩作りは行われていませんが、四百年くらい前(一五九六年)のころは、長与の代表的な仕事でした。
 大村はんの中では、さいしょに塩作りをとりくんだ場所です。
 海の水をひきこみ、石がまでにつめていたそうですか、にるときは、崎戸から船で運んだ石炭を使っていたということです。
 明台三十八年、塩作りは政府のしごとになり、長与の塩作りは、とりやめになりました。

すごいぞ かっこいい 斉藤のじゃおどり

 明治時代、岩淵神社の龍神様をまつるために「長崎くんち」の奉納踊りである竜踊(じゃおどり)を取り入れたものです。
 竜の頭は長崎市籠町からゆずり受け手、どう体や使い手の衣装は籠町や滑石のものを参考にして長与で作ったものです。
 演技の内容は、片手使い・双手使い・玉かくし・どうぬけの四通りの芸を連続して演じています。
 そのすばやい動作と竜の大きな口から火をふき、けむりをはく様子は、とても見事な演技です。

船頭さんの 大漁祝った 船津の川船

 起こりは、船津の網元・吉岡政太郎が明治二十年に新居落成の時に、大太鼓をこう入して「川船ばやし」をみんなの前で行ったことが始まりと伝えられています。
 また、詞や節は、紀伊国屋文左衛門にあやかったものといわれています。
 現狂うたわれている「大漁ばやし」は、昭和三十三年の松野伝氏が役場の落成記念に作詞したものです。
 現在使われている川船は、昭和六十三年、現在の役場庁舎落成記念にあわせて新船を建造したものです。

壮大に ひぴきわたる 琴の尾太鼓

 本川内で受けつがれていた太鼓を、昭和六二年に新たに「琴の尾太鼓」とした。
 この古太鼓は皮をはりかえる時、元禄一〇年(一六九七)三〇〇年前に作られたものとわかった。
 今のこっている太鼓の中では一番古い文化財になるのではといわれている。
 長与川のみなもとの琴の尾岳のふもとにあたることから「長与源流太鼓」、「のろし太」、「祝い太鼓」「琴の尾太鼓」の四曲があり、主に横打ちをする。


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